Sunday 13 March 2011

日本語で



私よりもよっぽど率直に、そしてまっすぐに表現してらっしゃるので、
クウォートさせて頂きました。

こんなふうに上手に複雑な感情を表現できる方がいることで、
非力さを感じている自分のような人間も
少しでも前向きに、
何かに向かって手助けできるようになるのかな、
と思いました。
伝えあうことはやっぱり大切なのですね。



ほぼ日刊イトイ新聞より

 
じぶんになにができるのかも、よくわからないのに、
 テレビのニュースから目が離せず、
 ツイッターからの情報にも揺れ動いてしまう。
 まともなリズムで眠ることもせずに、
 ない頭をしぼってみたり、こころを痛めてみたり。
 「おちついて」と、おやじぶって言ってますが、
 ぼくにしたって、芯のところは情けないものです。

 ただ、情けないなりになのですが、
 光の方向を向いていようと思ってきました。
 
 ぼくも、ほっとけば、暗くなります。
 悲しいニュースや、悲惨な報告が、
 尽きることなく流れてきますし、
 それをまた、見ることが義務であるような
 不思議な心持ちでいますから。

 深い悲しみや恐怖や、強い刺激に、
 人間のこころは、とらわれやすいんですよね。
 ほっとくと、暗いところばかりに目が行くし、
 そのほうが、ちゃんとしているような気になりやすい。
 だけど、洞窟の闇のなかにいようが、
 射してくる光を見つけないと脱出できない。
 その光の穴から、空気も、希望も出入りするんです。
 
・現地で、外国の人も含めて、たくさんの人たちが、
 自らの不安や恐怖を振りはらって、
 救助や、復旧、安全の確保にあたっています。
 そして、被害の少なかった地域の人たちは、
 「なにをしたらいいですか?」と手を差しのべてます。
 それが光であり、それが希望なのだと思うのです。
 目をそっちに向けよう。
 そこから、じぶんのできることを探そう。
 闇の深さではなく、光の明るさを数えようと思います。
 お見舞いの気持ちと、哀悼の気持ちを持ちながら、
 光の見える方向で、できることはあります。
 まず、現地で救援している人たちの役に立つことです。
 ここではオリジナリティなんか不要です。
 「助け」の助けになることを、しようと思います。